次男の交通事故
それから1年後
息子と一緒に
天女座との出会い
遠い熊野へ

次男の交通事故
写真を撮り始めるようになったきっかけは・・・5年前20歳の次男が突然の交通事故で天国へ旅立ちましてから、あまりのショックで茫然自失になり、庭を花園にすれば天国だと思い帰って来てくれるのではと本気で願いながらただ夢中で毎日花を植えている私がいました。一年後、庭は花園になり、花々の美しさとその花に集まって来る蛙や昆虫達の愛らしさを収めたくなり、私は夢中で写真を撮り始めました。すると不思議なことに、撮りたいと思ったものが直ぐに形となり撮れることがしばしば・・・
それから1年後
 今はカメラを手にすると、息子と一緒に写真を撮っているようで、感動の瞬間を自然のままに撮影している時が一番幸せで大切な時間になりました。
小さな生き物達を愛していた息子ひろ君、地球の自然の恩恵や、小さな命への慈しみを写真を通して伝えようとしているのではと感じています。その彼の想いを少しでも伝えていけたらと、これからもずっと写真を撮り続けていこうと思いました。
息子と一緒に
そんな中長男の就職が決まり、遠い熊野へと住むことになりました。長男まで家を出て遠くへ就職、と寂しくも思いましたが、連休には主人と共に熊野詣でと発見の旅が始まりました。
ある日主人が雑誌で熊野の天女座音楽ホールを見つけてきました。惹きつけられるようにそこへ向かいました。実はひろ君もピアノとシンセサイザーを弾いておりましたので、彼の演奏が聴けなくなり辛い思いが残っていたのです。幸運にもその日のコンサートを聴くことが出来、即興演奏コーナーでは旅だった息子への天国を思わせる美しい曲を演奏して戴きました。大変感動して音楽ホールで記念撮影をしたところ、私の頭上に巨大な「たまゆら」が写っていました。息子が逢いにきてくれたのかもしれません。
天女座との出会い
これらの不思議な御縁により、私達夫婦は古代の昔より神々が宿るとされてきた聖地熊野に不思議な出会いがあって、導かれるように波田須町に住むことになりました。失意から立ち直る元気を紫帆さんからいただき、また天女座ギャラリーにて写真展を開催していただき、多くの方との素敵な出会いや感動を戴くことができました。
この一連はひろ君が起こしているようにも思います。音楽や小さな生き物を愛していたひろ君。この地球の自然に対する恩恵や小さな命への慈しみを私を通して伝えようとしているのではないかしら…それが私の役目のような気がします。
 
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